知的障害者の犯罪から社会的責任について思うこと

 先日,幸満ちゃん(当時5歳)の死体遺棄容疑で勝木諒容疑者(21)が逮捕された.彼は特別支援学校の高等部に通っていたらしい.テレビを見る限り,身体的には問題は見受けられないから,おそらくは知的障害者なのだろう.

参考:

 女児遺体遺棄で21歳男を逮捕、容疑認める供述 - 読売新聞


 知的障害者の定義は難しいが,ここでは成人しておりかつ社会的責任を果たすことが困難である者として,以下の話を進めたい.

 今回の犯人は知的障害者であった・・ということで,「また合法的に犯罪が許容されるのか」と感じている人も多いようだ.実際に,社会的責任能力の有無を判断するのは非常に困難であり,我々からしてみれば,犯罪は犯罪であり,それが殺人など重罪であれば,何とかして欲しい・・と思うのは自然な反応だろう.『犯罪者がそのまま世に出てきてまた犯罪を犯すかもしれない・・刑務所に収監するなり死刑にするなりして,二度と犯罪が繰り返される可能性のないようにして欲しい・・・.』しかし,それでは,ハンセン病患者を隔離するという思考となんら変わらない.判断能力が欠けていた場合,その者に害意は無かったと考えられる.したがって,適切な治療を施すことで,社会復帰が可能であると考えられるべきだろう.

 また,服役囚の4人に1人が知的障害者であるという事実も,考えなければいけないだろう.知的障害者の人権は守られなければならない.多くの者が「しょんべん刑」と呼ばれる万引き、無銭飲食、自転車の盗難などの軽犯罪によって収監されている.それは,知的障害者が社会において適切な福祉が受けられていない実態を表している.本来福祉が担うべき知的障害者の保護を,刑務所で担っているという事実.もちろん,軽犯罪であろうとも犯罪が許容されるべきではないが,その背景に社会機能の不全があるということは重く受け止めなければならない.

参考:

 現在日本にいる服役囚の、約1/4は知的障害者です。 - はてな匿名ダイアリー

 「服役囚の4分の1が知的障害者」が意味するもの - videonews.com


 しかし,その一方で,稚拙なノーマライゼーションによる弊害も感じられる.例えば,

 "知的障害者"は合法的に犯罪が許されるのだろうか - はてな匿名ダイアリー

この話について,「子供のいたずら」として許容されていたという可能性もあるかもしれない.しかし,「障害者だからしかたない・・」と許容されていたのかもしれない.そして,後者ならば・・非常に問題があるだろう.知的障害者であったとしても,その行為は許容されるものではない.社会行為を営むうえでは,社会的責任は必ず果たされなければならない.

 もっと身近な例を挙げよう.知的障害者とのトラブルとして多いのは,電車などの公共交通機関である.閉塞空間内において,知的障害者の一部の方は,騒いだり,マナーを守れない行動を取る場合がある.これは,本質的に「障害者なんだからしかたない・・」と許容されるべき問題ではない.そもそも,当人に社会的責任能力が欠けているのであれば,それ相応の人(福祉介護者・保護者)が社会的責任を担うべきであり,それらの行動について責任を負わなければならない.電車の中で社会秩序を乱す言動を取るようであれば,当然ながらそれを制する義務がある.

 ノーマライゼーションは,ただ障害者の社会進出を許容するためのものではない.健常者が我慢し,許容することで健常者と障害者の均等化を図るものでもない.当然ながら,社会に進出するにあたっては,それを構成する一個人として社会行為を営むうえで,当然それに応じて発生する社会的責任も履行されなければならない.それが,自身では不全であるならば,その福祉介護者・保護者などが社会的責任を果たさなければならないだろう.

 勝木諒容疑者(21)は知的障害者であった可能性が非常に高い.場合によっては,責任能力が無かったと見なされる可能性もある.社会的責任能力の欠如が認められるかもしれない.その場合は,適切な治療が必要であるとの判断が下されるだろう.しかしながら,その場合に最も問題であるのは,本人に社会的責任能力が欠如していると判断されるなら,なぜその保護者・福祉者となるべきものがその社会的責任を果たさないのかということだ.そして,それを果たすものがいないのであれば,残念ながら,社会行為を営む資格は無いということになる.

 社会に進出するにあたっては,それを構成する一個人として社会行為を営むうえで,当然それに応じて発生する社会的責任も履行されなければならない.それは,健常者・障害者に関係なく,責任ある社会構成員として当然の義務であり,それが守られて初めて真の均等社会と云えるだろう.