クラウドコンピーティングの潜在的危険性

 僕は,今まではクラウドコンピーティングというサービス形態は,Webがより動的になり,また相互作用的なのものになるに当たって,インターネットがより高速化して物理的な隔たりが減少するに当たって,当然考えられるべきものであり,インターネットという資源を有効利用する上で,非常に有意味なものであると考えていた.そして,SlashdotでRichard M. Stallmanさんがクラウドコンピーティングに関する危険性を述べている記事を読んだとき*1も,不要な危惧であるという旨の記事を書いた.(僕のその記事は今はアクセス出来ないが……)しかし,今はその危惧というのを,実感を持って理解出来た気がする.使用者は分かった気になりつつも,その実,実感無く利用しているのではないだろうか.
 インターネットにおける最も成功した,また最も身近であると思われるサービス形態として「Weblog(以下,単にブログと書く)」がある.クラウドコンピーティングとは厳密には違うものではあるが,ネット上における代表的サービスであり,利用者とサービス提供者の相互関係をを考える上で,ブログというサービスを考えたときに,そこにクラウドコンピーティングにおける潜在的危険性も議論し得るのではないかと思う.(まあ,そんなに単純なものではないかもしれないが)したがって,以下ではブログに関して議論することで,それを以てクラウドコンピーティングにおける潜在的危険性の議論としたい.(最初からクラウドコンピーティングではなく,インターネットサービスというテーマにすれば良かったかもと今さら気づく)
 ブログというのは非常にメジャーなインターネットサービスであり,最も身近なサービスであると考えられる.おそらくは,インターネット利用者の過半数は何らかのブログサービスを利用しているのではないだろうか.また,いくつかのパソコンを利用しているようなユーザー(ex. 大学, 自宅, モバイル e.t.c.)においては,ネット上におけるメモ帳代わりにブログを利用している人も少なくないはずだ.そして,僕もそういうユーザーの一人であり,日ごろ関心を抱いた記事などをチェックしたり,研究関連のことでちょっとしたメモを取ったり,あるいは思考をまとめる意味合いも兼ねて記事にしたり,今後読み返したり,今はじっくり読む時間が無いけど関心があるので後で読もう・・と思う事柄を自分のブログに走り書きしておいて,内部検索を使ってその都度読み直したりする.日録という枠組みを超えた,一種の個人的なデータベース代わりに利用していた.しかし,ある日なんの前触れも無く,連絡も無く,突如アクセス出来なくなってしまった.現在,問い合わせ中であり,何が原因かはまだ分かってはいないのだが,おそらくは倫理規定,あるいはそれに準じた内部規約違反と思われる行為を犯してしまった可能性がある.
 もちろん,そのサービスを利用するからには,規約は遵守しなければならないし,規約を違反した場合に消されるのは止むを得ない.しかしながら,その多くは故意によるものではなく,規約の理解が不十分であったり,その解釈の相違によって起こるものである.例えば,誹謗,中傷,侮辱行為に関しては,一般的にこれらの行為及びその助長行為というのはどこのブログサービスにおいても規約で禁止されている.一般的に,事実を記述した記事である場合,侮辱行為などにはならないが,その場合であっても,サービス提供側の解釈によっては,これらの行為として認められる場合があり得るし,それによってサービスが停止される可能性もある.当然ながら,ブログ利用者はサービス提供者の規約を遵守する旨,またサービス停止などの行為がサービス提供側の裁量によって行われる旨,それらをサービス利用時において規約として承諾しているため,これらの行為については,それが不当であると考えられる場合であっても,文句は言えない.そこに,これらのサービスの潜在的な危険性を感じざるを得ない.
 ありていに言えば,規約というのは問題が起こらないように,また問題が生じたときにその責任の所在を明確化し得るためにある.企業として,社会的規範,企業倫理を守り,また法令を遵守することで企業としてのあり方には問題が無いということを示し,企業としての過失責任を問われないための言質であるとも言える.したがって,規約は多くの場合,非常に広い範囲をカバーし得るように書かれている.それは,場合によっては利用者の権利を蔑ろにし,奪ってしまい兼ねない記述もあり得る.*2しかし,多くの場合はそれを解釈という形で補って,問題が生じない形で適用され,運用される.しかし,それはあくまで解釈によって解決が図られるものであるから,言い換えれば,すべての裁量はサービス提供側の良心に委ねられるということである.
 クラウドコンピューティングとは,ローカルなアプリケーションをWebアプリケーションによって代替し,究極的には,手元の端末でインターネットを介して,そのハードウェアリソース・ソフトウェアリソースの所在や内部構造を意識することなく,情報サービスやアプリケーションサービスを利用できるようなシステム構成を指す.そのとき,各サービスを利用する際には必ず提供側との規約を遵守する必要があるが,我々の権利というのは,最終的にはサービス提供側の良心によってのみ保護されるということである.極論を言えば,データがいつ・どこで・どのような理由で以って削除されるかは分からないし,またそれを保障するものはないということである.

tallman氏によると、「クラウドコンピューティングプロプライエタリな(自由でない)ソフトウェアやシステムがいままで繰り返してきたのと同様の、『より多くの人々を閉じ込めるための罠』」であり、「GoogleGmailのようなWebベースのプログラムを使うことは、愚かというだけでは言い足りない」とまで述べている。また、「Webアプリケーションを利用すべきではない理由の一つは、それによりコントロールを失うからだ」とし、「これはプロプライエタリなソフトウェアを使うのと同じくらい悪いことだ。『コンピューティング』は自身のコンピュータで、自由が尊重されるプログラムを使って行うべきだ。もしプロプライエタリなソフトウェアや誰かのWebサーバーを使うと、ユーザーは自身を守れない」とも述べている。
     Richard:M. Stallman曰く、「Gmailを使うのは愚かなことだ」 - Slashdot より引用

 必ずしも,Webベースのサービスを利用することが愚かなことであるとは言えない.それによって得られる利益はその不利益に比べてはるかに大きいものだろう.しかし,やはりWebベースのサービスにおいては,提供されるサービスを利用する行為一般に言えるだろうが,その潜在的な危険性というものを十分に留意した上で利用しなければいけないだろう.*3

*1: M. Stallman曰く、「Gmailを使うのは愚かなことだ」 - Slashdot

*2: mixi利用規約問題がその典型だと思う

*3: アクセス禁止されて分かるこの辛さ……研究の参考になるかもとか思ってメモった論文とか全部参照出来なくなるし,研究中にふと思ったことまとめるために書いた記事は読めないし……ブログ書く場合にはそのバックアップを取っておかないといけない……なんて,記事のバックアップをわざわざ取っている人なんているのだろうか……